2016年08月24日

1936年のオリンピック+コマネチのその後

仏もリオ五輪の熱狂が止まないまま、昨夜のテレビでは
1936年のベルリン・オリンピックの特集をやっていた

ベルリン・オリンピックは、ヒットラーの祭典などとも言われ
ナチス政権下のオリンピックとして歴史の汚点として、また
ヒットラー非難(のプロパガンダとしても?)にも、頻繁に
使われているような気がしますが

1936年という世界情勢に暗雲が立ち込めてきた不安定な
時代に、こんな素晴らしいオリンピックが開かれたのが驚き!

ヒットラーは、最初、ドイツ選手が全然勝てないだろうと思いこみ
オリンピック大会にぜんぜん関心を示さなかったそうだが、
ドイツ選手が金メダルを取るとがぜん熱狂し始めたという
ヒットラーも、そんな人間的な(?)一面があったんですね  😃

日本の選手たちもたくさん参加していました
そして、金、銀、銅、計18個ものメダルを獲得
国別順位は8位の好成績を上げているのですね


日本は、翌1937 年には、盧溝橋事件が起き、日華事変が
始まる、嵐の前の静けさ、平穏な一時期だったのでしょうか?
この平和の祭典一ヵ月後には、ドイツもフランスに攻めこんだ
そうです。いずれにせよ、日本も隣3国には油断大敵です!

そのベルリン・オリンピックのドキュメントの後で、
なんと「ナディア・コマネチ」のドキュメントがありました


かつて、ナディア・コマネチという14〜5歳の笑顔の
可愛らしい少女の映像がテレビでも頻繁に放映されていた
ので、ルーマニアの天才体操選手として、私の記憶にも
刻みこまれていましたが、その後は、プッツン・・・
どうなったのかと興味をそそられ見てみました

ドキュメントを見て驚いたのは、当時、世界中で
あの無邪気な笑顔と均整のとれた肢体と完璧な演技が
絶賛され、もてはやされていたコマネチだが、その一見
華やかに見えた選手生活のかげに隠されていたのは、
なんとスーパーで働かなければ、パンも買えないほどの
貧しい生活だったそうだから驚きました  😞

当時のルーマニアは貧しく、国民は皆、飢えていたそうだが
(外貨を稼ぐため、食料は外国へ売るので食料不足も原因)
だが、世界中で活躍し、たくさんのグラビアを飾ったコマネチ
その広告代なども(?)たくさん入ってきたはずと思えるが
彼女が、外国で稼いだ「外貨」は全て国のものになった?

当時のルーマニアは、共産国で、チャウシェスク独裁政権下
共産主義とは、個人の自由も尊厳も財産も没収できる国
国民は、ただロボットのように働かされる国なんですね


若いコマネチは、小国、貧国、ルーマニアの金づるとして(?)
チャウシェスクに利用されてしまったんですね。そのくせ
コマネチの人気が彼らより上になると嫉まれて、疎まれ
そのくせ、国外に逃亡しないように厳しく監視されていた!

笑顔の可愛いらしかった少女時代から娘に成長する頃は
無邪気な笑顔は消えうせていた。不審に思った外国の記者から
「なぜ笑わないのか?」と理由を聞かれたという
本当のことは言えなかったでしょうね


その頃、囚人のような生活を送っていたナディア
笑顔になれなかったのも当然でしょう。
当時の映像は、ガリガリに痩せ、暗い顔つきでした!
自由もなく結婚もできないと28歳の時、脱走を決意!
雪と氷の中を友人と歩いてハンガリーに到着したそうだ
それからオーストリアに・・・オーストリアの米大使館で
アメリカへ亡命を申請。

米大使館はパスポートのコマネチの名前を見て
ビックリしたそうだ!。米国では囚人から賓客に変身?
今はアメリカで結婚もし、子供も生れ、自由な生活を
満喫しているようですね。 良かった!ですね  😃

ナディア・コマネチが亡命した翌年、ルーマニア革命が
起こり、独裁者チャウシェスク夫妻は処刑されました

その処刑(銃殺される)シーンがフランスのテレビなどでも
何度も放映され、目をおおうような残酷さに衝撃を受けたが、
ナディアはどんな思いでそんな映像を見たのでしょうか?
自分を、ルーマニア国民を苦しめた独裁者の最期の姿を!

改めて、ルーマニアの国民の悲惨な生活を知ると、独裁者
チャウシェスク夫妻の処刑も無理からぬことだったのだと
思います。国や、国民を、自分たちのためだけに利用した
独裁者は、石や棒や銃で追われてもしかたありませんね



posted by パリせいかつ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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